二次創作、嗜んでいらっしゃいますか?

「あなたは何を嗜んでいらっしゃるのでしょう?」

「ええ、二次創作を少々……」

なんていうある種の前衛的な会話が行われるような場は……まあないだろう。どの時代でもコアな趣味ほど一般に理解される範疇の言葉に噛み砕かれて紹介される。

 

ところでこの嗜むという字を身近で使ったこと、問われたことはあるだろうか。相手方が良家のお見合いとかであればまだ聞かれる機会はあるのだろうか。(筆者には全くもって無縁の機会)

 

なんて冗談はさておき、では嗜むという字はどういう意味かというと

① 芸事などを習って身につける。

② 好んで親しむ。好んで熱心にする。 

③ 自分のおこないに気をつける。つつしむ。
④ ふだんから心がけておく。用意しておく。
⑤ きちんとした身なりをする。
 
一見すれば趣味の範疇に向けられる言葉でもある。つまり冒頭の「何を嗜んでおいでで?」「同人活動を少々」なんていう会話は成り立つ。(以下、二次創作を基本とした同人活動という言い方にします)
 
この嗜むという言葉は、同人活動に当てはめると「書き手」「読み手」に関わらず当てはまるものだと思う。短くまとめてみると双方が、
1.あくまでもその対象を好きであること
2.同人誌を出す・買うにあたってはそのスキルを身につけていること
3.同人誌を作る・買うどちらの立場であってもつつしみのある行動をとること
といった感じだ。
 
注意してもらいたいのは、ここで言われているのはあくまでも善意の範疇であるということ。窃盗や詐欺といった端から犯罪に属するものはまた別の土俵で論じて下さい。
 
まあまず1.あくまでもその対象を好きであることは何も言うことはないだろう。善意という範疇で行くと、一次創作・二次創作どちらにしても「好き」という気持ちがなければ生み出すエネルギーにはならないし、自分の持ち金で買おうということにはならない。
作るエネルギーが相当量なのは勿論のことなのだけど、きちんと日常で働いたお金でその作品を買うというエネルギーも相当量のものなのだ。
どちらも自分の意志で決めて、金銭という絶対的な価値観に変換して晒される覚悟を決めているということになる。敬服しかない。
 
買って貰えるという言葉は、自分の時間を対価として得た報酬を使ってもらえた瞬間への感謝だ。「買うという意志決定をして貰えた!」という喜びになるのだ。筆者は同人誌は出したことはないけど、空想上で有り難がっておく……イメージトレーニング(?)大事。
 
 
では2はどうだろうか。2.同人誌を出す・買うにあたってはそのスキルを身につけていることというのは要するに「作法」のことであり、作法とは「正しさ」を含んだ物事となる。定められている中、公正に創作物をを売る・買うということをしなければならない。
 
作法という言葉を使うのは、「作法そのものに敬意を払うべき」だからだ。ときに聞く人が法を守るのではなく人が法を守るという話につきるんじゃないかなと思う。(PSYCHO-PASSの某セリフ)
法なんて自然界にあるものじゃなくて後から人が生み出したものだ。何故なら守るものがあるから!
この守るものというのが作家にとっては「自分の作品」となるわけです。作法に敬意を払い守るということによって継がれていくものがある。
 
礼儀作法は人間関係を滑らかにする。社会生活の潤滑油である。(松下幸之助)
うん、同人活動は全てが対人間なのでこの言葉に則る他ない。
 
 
それでは3つめ。同人誌(同人誌が表題なためこう書いていますが、創作物一般のことを言ってます)を作る・買うどちらの立場であっても慎みのある行動を取るということ。
この慎み―謙虚な態度というのは何にかかってくるのだろう。一つ上に書いた作法を守ることこそ慎みある行動なのでは?ええ、全くもってその通りです。そしてその後に続くのは作品を守るのだということ。
 
この瞬間を待っていた!
 
同人誌に関わる人たちの中で嗜んでますかと尋ねられて「はい!」と答えられない人がどのくらいいるのかは筆者にはわからない。けれど暗黙の了解の多い同人活動においてこの「作品を守る」ということが基準であれば嗜んでいますと両手を振って言えるのではないかな思う。
 
同人活動とは嗜むものであるべきだ。これが筆者の結論である。
お気づきでしょうけど。
 
 
さてこの「嗜む」という話において二次創作を表題としたのは、二次創作をしている人たちがが守るべきは先ずは原作であり次に同人作品であるという点を踏まえたかったから。同人活動という表記だと一次創作も入るのだけど、話がとっちらかるので。
 
この話はゲームだろうがアニメだろうがあくまでも二次創作が生じる世界にポイントを絞って語らせてもらいたい。原作があること、原作を害さないようにするという暗黙の了解があるということを前提にして言いたかったから。
 
現在同人活動は随分とおおっぴらなものとして受け止められてるなあと思う。ネットが普及してどんな所からでも二次創作に入ることができるようになったからだろう。(大きな事件とアニメオタクの関係性云々でメディアに晒されてるからねうんうんという話ではない)
著作権が生じているものに対して暗黙の了解の上であれこれやっているという裁量がゆるくなっていると感じているという話だ。同人誌というのは誰かの許可があってやっているという手順を踏んでいることはまれで、ほとんどが「作原作者や出版社が目を瞑ることによって成り立っている」のだ。
 
ここまでいろいろと踏まえた結果、この嗜むという言い方ができない在り方は随分とまずいんじゃなかろうか。
自分の快楽オンリーのために行われる同人活動って、こわいなって思う。
 
嗜むという言葉の先にあるのは敬意だ。作品を守る、作者を害さないというのは敬意がある上では当然のように思える。二次創作は特に原作があるからこそ同人活動をしようという原動力が沸く。その原動力を絶やしたくないのであれば(または、いつまでもその作品の同人誌を読めるような世界線にいたいのであれば)、作家は原作ありきでその二次創作ができるということを忘れてはならない。だって、その作品が生まれるエネルギーにあなたは関われてはいない。
 
 
ここからは具体的な苦言なのだけど。性癖や改変・シチュエーションによってその同人誌を作りたい・買いたいという思いにはあくまでも同じ責任がつきまとうよということを前提に喋らせていただく。
 
作者にしてみれば原作に描いたキャラクターも描写も全てが自分の子どものようなものだ。
作者以外の人間に何の権利があって、人のこどもを「原型のない状態にまでぐちゃぐちゃにしたとおおっぴらに公言されたり」「あまつさえ原作者に見て欲しいと同人誌を送りつけたり」「著作権が発生しているものをそのまま使いまわしたり」出来るというのだろう。これが同人活動は日陰でやるべきという最たる理由だと思う。
 
二次創作をやるにおいて日陰でやるということ、原作者やそれに関わる人たちの目に止まらないように・歪曲した解釈を声高に発言するようなことがないようにするということは、嗜むという観点に該当する。原作者を害さない慎み深さがなければ原作者としては自分の子どもを痛めつけられて終わるだけだ。もうかきたくないと言われてもしょうがないだろう。
 
同人誌を作る・買うという立場はそう変わりあるものじゃない。
例え同人誌を作ることにも、買うことにも労力を割いたとしても上記で語った「嗜み」という概念を含んだ上で売買にまで達して欲しい。作られた同人誌はその作家のものであり、それだけの金額を払うのだから満足を求めたいというのであれど最低限のマナーとして同人誌を嗜む人間であって欲しい。(ちなみに今ここで払っているのは敬意であり、金銭が絡むだの、承認欲求だのはちょっとまた別の土俵にあげさせて頂く)
 
 
さてこの暗黙の了解をクリアし、実に慎み深く同人活動を嗜んでいる人がいるとしよう。先に書いたように悪意や犯罪を除く話となるとここにも同人誌を売る・買うにおいて嗜みが必要である。原作者への敬意だけがこの話の結末ではない。その上で出てくる同人誌へもまた「嗜み」を持って接しなければいけないと筆者は思う。
 
生み出す側には常に労力が必要だ。それは一冊の本を作るにおいても、一冊の本を買うお金を得るにおいても同じだ。
比重や世論的には「作り手への比重」の方が大きいだろう。学業や就労の合間を縫ってエネルギーを割いているわけだから偏る酌量もあるっていうものだ。既に何かを作るということにおいて「余剰のエネルギーが必要となる」ということは周知の事実なのだ。
 
どの程度の出来栄えなのかや、経験はその人ごとに違うので比較することは難しい。ただ、そこには必ず労働プラスアルファのエネルギーが必要だったということを忘れないで欲しい。
生み出されたものへの価値は買う人間が決めるというのも事実だ。でかい話で言うと美術品というのは誰かが決めた価値によって価値が決まる。流動するものだ。絶対じゃない。
 
 
作法に敬意を。
その同人誌を買うと決めたのはあなた。
これらを普段から心がけていくことによって同人活動(二次創作)は保たれている。物理にせずネットにあげるだけでも同じことだ。時間を割いて読もうとしたのはあなた。その決定を作品の善し悪しや比較に任せて転嫁してはいけない。
 
くどいようだが嗜むという意味は

① 芸事などを習って身につける。

② 好んで親しむ。好んで熱心にする。 

③ 自分のおこないに気をつける。つつしむ。
④ ふだんから心がけておく。用意しておく。
⑤ きちんとした身なりをする。
である。⑤で言われるきちんとした身なりとは見た目の身だしなみというよりも、同人活動に携わるものとしての在り方を身なりという言葉で表されていると捉えたほうがいい。
 
嗜みをもって作られた同人誌を買うときは、買う側にも嗜みがなければならないのはそのためだ。
相手に敬意を。この経緯はノード図のように展開されていて、相対的であるのに暗黙の了解の上で成り立っている恐ろしいものなのだ。だからこそ二次創作(同人活動)を守るために嗜むことが必要なのだ。
細かいルールあれこれを論じる気はないけれど、
1.あくまでもその対象を好きであること
2.同人誌を出す・買うにあたってはそのスキルを身につけていること
3.同人誌を作る・買うどちらの立場であってもつつしみのある行動をとること
という形で二次創作(同人活動)を嗜んでいこう。
堂々と胸を張って嗜むという形で生き残っていこう。(某先生のようにダメって言われた作品へはダメだよ)
 

苦労する身は何いとわねど 苦労し甲斐のあるように

 

というやつだ。どうぞみなさま、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

余談ですが金銭の話を途中で意図的に省いたけれどそれは対価をもらうなということじゃありません。同人誌にはお金を落とすけど原作にはお金は払いたくない・けど継続して欲しいなんてもってのほかですよ!

仕事で生み出しているものにはお金が対価です。原作は!お仕事!お金が入らないお仕事を誰が続けられる/続けさせてくれるというのだろうか。

 

同人誌はそもそもが非営利であるから同人誌なのです。ただ、赤字を前提としては続けられない。だから赤字にならない程度の色がのせられている。それをお間違えなきよう。